もう11年、まだ11年。
あれだけの大震災だったのに、
気が付けばずいぶん遠くに感じるのは、
私と現場の距離の差であり、
輪番停電とか物資不足とかはありつつも、
身近な被害がなかったからなんだろう。
なにより、その後に
世界規模の疫病の流行が発生して、
自分の生活を一変させたからかもしれない。
そしてまた今は戦争が起きている。まさに今。
疫病の発生は仕方ないとしても、いや、
それでもやりようがもっとあった気もするし、
戦争はそれ以上にホモサピが起こしてて、
どうにかなったはずなのに。
私に出来ることがあるとすると、
とにかく先ずは自分が感染症かからないのと、
出来る範囲での支援と、
きちとんと自分で考えて選ぶことと、
関西大震災のときに新聞で読んだ、
自分よりもまず友人の無事を願っていた、
小学生の少年たちの祈りの尊さを忘れないことだと、
今でも思っている。
先ず必要なものを聞かれて、
友人・三浦君の命だと答えた少年たちよ。
三浦君は見つかっただろうか、
助かっていれば今はもう35歳くらいだろうか。
彼等の幸せを祈って止まない。
そして我々は少しでもマシなオトナになったか、
自問自答はいつまでも続く。