春の野球最終日でしたが、
試合開始を10:30だと思ったら、
開場が10:30、試合開始11:30だったという…
いやいいけどね!早い分には!!ノックも見たし!
なお、
「春の野球が終わったらどうするの?」と訊かれ、
「夏の野球を待つんだよ…?」と答えたのが私です。
もう組合せ抽選始まってますからね!!!
は、いいとして。
ちょっと長めの話をしますが説明を端折るので、
まあ気の向いた方だけ斜め読みして下さい。
先日、林檎屋がやらかした新PadのCMよりも
もっと悪趣味、ではないな、もっと浅薄というか、
無知というか、どうしてそんなんできちゃうかな??
みたいな話だと思うのね…例のコロンブスPV
端的に言えば「アホかい!」というか。
なんであんな広告の企画が通っちゃうかな…
誰も何も気付かなかったのか?
とは思いたくないので、誰か言うだろ、
とほったらかしたらそのまま通っちゃった、
のかもしれないけど…いやいや…
そうそう哺乳類展を見て思い出したんだけど、
系統学・分類学というのは、それ自体が
非常に恣意的というか、そもそも偏向的であり、
それを前提に立たないと見誤る、みたいな話を…
してたなあ、と思い出したことがあって。
当時、近隣の研究室に居た院生さんで、
現在の系統樹を解析してる人が居て、
(基本的にフィールドワーク主体な分野だけど、
その院生さんはテーマが数理的なアプローチで
系統・分類を解析してた、はず…)
それには一定方向の偏りがある、
たしか「フラクタル」を用いて説明できる、
という説を検討していたんだけど。
そのラボのボス(教授)や他の院生さんも
それは感覚的に分かるというか、
そもそも、我々がいま見ている世界
(=既に分類をした範囲)は
我々が認知できる部分でしかないので、
それが似た構造になるのは当たり前で
(=無意識的にあるカタチに寄せてしまう)
気付いていない・見えていない分野が膨大にある。
という話をボス達がした気がする…たぶん。
要するに、我々は自分自身(ホモサピ)の
システムに準えて世界を理解しているので、
それを再生産してしまっているだろう。
という話だとおもう…わかるかな…?
ものすごーく雑にいうと、
ホモサピの目で蝶と蛾は区別しやすいから
色んな種に分けてあるけど、
ゴカイとかも同じくらいバリエーションが
あってしかるべきだけど無視されてる、という感じ。
初めて聞いたとき、あーーーーーー!!と思ったよね。
我々は自分自身の目を通してしか
世界を認知し得ない、というそれだけのこと、
なのに、それに縛られて生きてる。
当たり前だけど、そこに限界が在るという話。
だと思う。
大事な視点だったなあ、としみじみと。
えーと、まあそんなんで、新作に取りかかります…