叔父の葬儀のため、東海道を西へ。
こだま久々、と思ったら、そうでもない、
アホみたいにマツジュン見たよね!
じゃなかった。
三河にある叔父の家は母の実家でもある。
祖父は早く亡くなったけど、
盆と正月は母方の実家で過ごす習慣だったので、
年に二度は帰っていた街でもある。
途中で程近くに新幹線の駅が新設され、
帰りやすくなった…けど、
実はのぞみで名古屋に出た方が早いな!
(やってもよかったけど、
仕事じゃないしそんな急がなくても良いかと…)
しかし、いつぶりだったろうか。
たしか就職後に行ったことがあるので、
干支一周はしたけど、二周はしてないぐらい…
兄弟は祖母の葬儀以来で干支二周以上とのこと。
そんなにご無沙汰だったか。
そりゃまあ、ある程度は変わってても…
いや、なんかもう見知らぬ街でしたね…!
なんでこんなにビジホ多いの?
T田以外にも、けっこう企業多いのここ、
工場とかもあるし、とは母談。
そうか、日本のデンマーク、
もう酪農だけの街じゃないらしいよ…!!
(地理選択の友人達にあの街の名を言うと、
必ず出てくるのがこれだった。
異口同音に皆、言うので面白かったなあ…
あ、私は世界史・日本史選択です!)
すっかり真夏日だったというのに、
もの珍しくて駅から歩くことしばし。
スタバあるぞここ…知らないスーパーが…
え、この道って国道?? とか不安を覚えて、
一度、Google先生に聞いたら、
合ってるよ!というので更に進む。
そしたら、あ、あの鉄塔は覚えてる!!
その先のガレージのあるお宅も、
それで、そこを曲がればお墓だ!
ようやく見知った街になりましたよ…
「タクシーで来いよ」とは兄談、まあそう。
でも久々の街は歩きたいじゃんよ。
叔父は認知症もあったものの症状は軽く、
弱視と、随分耳が遠くなったものの、
日常生活は不自由なく送れていた様子。
お家にはちゃんと生活していた感があった。
ただ、やはり相応に古びて、
目が行き届かないところは荒れていた。
エアコンが新品だったのは喜ばしい。
ただ持病もあり、長く患ってはいたので、
焼けた骨はひどく脆くなっていた。
庭のクチナシが満開で、
あの甘い匂いが最後まで薫っていた。
叔父には家族がないので、
母がこのあと、いろいろと始末をする。
母さんのやりやすいようにするといいよ、
とだけ皆で伝えた。
あの街に行くことはもうないかもしれない。
否、引き払うまでには、
もう一度、行くべきのような気もした。
むかし通った神社や、在来線の駅のあたりとか。
そして母曰く、私の出した絵ハガキは、
きちんと保管されていたそうだ。
また展覧会に行ったときは絵ハガキを買って、
母や友人達に出そうと思った。

麓に住む兄弟曰く、あのコンビニだけじゃなくて
隙あらば(?)この山を撮ろうと
観光客がうろうろしているそうですよ。
まあ、そりゃこれだけ絵になればそうだろうよ…