またずいぶん盛り上がった日シリ初戦ですが、
この週末の横浜すごいんですって。
日本シリーズ以外にもサッカー、バスケ、
ライブ、イベントが目白押しだそうで。
ええ、私も関東大会に行きます!!
スパーク行けなくて残念だけど、
こっちも甲子園かかってますんでね!(力強く)
ということで、こっちは進めるぜ。
北海道開拓の村の続き、終盤最大の見どころ、
大正末期から昭和33年まで営業していた
写真館を再現した建物なんですが…
この部屋に入った瞬間、叫んだのは私です。

だって!!!!!
あれですよ、長谷川写真館!!鶴見中尉!!!
と、友人に大声で主張してしまった。
当然スタッフの人には金カムファンなんだなー、
と思われていたでしょう、正解です!
ちなみに、↑の記念写真用背景の絵は
開拓の村入口の停車場ですね。
拡大してもらうと解りますが馬車もいる。
ここには女性一人、男性二人を並ばせるべき。
写真機拡大

のぞき込めるようになってて、↑の椅子が
天地逆になっているのが見えます。
そうだった、昔の写真機逆なんだよね、
ピンホールカメラの原理、とか話しつつ。
なお、写真館の外観はこの右手の建物ですね。

で、この建物は2階に上がれました。
二階にあるのは撮影スタジオのおかげかな。
最初の写真を見ると解りますが、
向かって左手の天井、斜めの硝子張りになっていて、
天然の照明というか明かり取りですね。
白い布がカーテン代わりなんですが、
レフ板代わりにもなっていた、ということ。
明かり取りになってるほうが斜度がきつくて、
雪が積もりにくくなっている北側。
向かって右手の方を南側にして建ててたとのこと。
あ、北側の灯りだからノースライトだなーと
ぼんやり思ったンでした。
当然、当時の暗室・作業室もあります。


右上方にあるブリキ缶がいわゆる水道、
というか水桶だったんですね。
一階で写真館の受付や応接に使われて居た部屋、のはず。

和洋折衷というか、畳敷きだけどカーテン、という。
別室は完全な和室で、生活区域かなというところ。
でも、窓と障子の組合せが和洋折衷

いっぱい引出のあるタンスも、作業用やら
薬剤・道具も多かっただろう写真館ぽさ?
ココは金カムファンのお客さん多いらしいです。
そりゃそうだよね…
アクスタとかで撮影するファンとかもいるかな。
連ドラ進んで再現されたらもっと増えそう。
と、散々盛り上がって(私が)から、
次の建物に向かいます。倉庫です。
しかし屋根のココにこれ、札幌っぽい!!

石造りの倉庫ですが、
なんか法隆寺の回廊を思い出すね、と
友人に無茶ぶりをしたのがこれ。

奥の方にあるのは馬車、橇だったとおもうー。
中には当時の農具や工具、農業用機械
(つまり脱穀する機械とか)
工具や機械もあったんですが、
ってことで色んなミシンがあったんですよ。

右側、現在再放送中の朝ドラ、
カーネーションでも出てくる最初の普及型かな。
左手にあるのはどこがどうミシン…?
かもしれませんが、足元のがペダルですね。
なんとなーく見ると使い方はわかる感じでした。
しかしこういうの、形が少しずつ違って、
恐らく型番もメーカも違って、
なんなら独自に回収もしてるだろう、
実際に使ってた道具や器具、機械って、
芸術品・美術品とは違うただの『道具』だけど、
集めて保管する意志がないと残らないし、
残らないと文化ごと喪われてしまうものだよね。
5台ミシンがあっても、ちょっとずつ全部違うし、
同じ年代の型番のミシンでも、
使ってる人が違うと違いも出てくる。
だからまるごと保管しないと意味がないのに、
『選択と集中』とかいうのをやろうとして、
まるっと失敗した自治体があるよね、
なんて思ってました。どうするんだ大阪。
そして理解しない人は本当にいる。
10ある鋤が少しずつ違うのに意味が見出せないし、
3つある唐箕が少しずつ違ってもスルー出来る。
こういうの博物学の根底だよなあ…とかさ。
保存されないと文化や歴史そのものが失われて、
なかったのと同じにされてしまう。
そうならないように、こういう公園で、
こうしてまとめられ、展示されることは
僥倖だし奇跡的なんだなーと改めて。
ありがたいことです…!!