そして世界は踊る2

日々の呟きやらなにやら。

時代劇への愛と渇望の物語

久しぶりにGPシリーズえねっちけー杯見たら、

さかもっちゃんが独り別の大会に出てて

ちょっと笑ってしまったんだけど、

いやいや、圧巻でしたな。

てか、ほんと男子並みの構成というか…

 

にしても久々に見たら、まるっと世代交代してて、

かなり隔世の感があってあれでした…

女子なんか知らない間に引退してる子いる。

ジェイソン君休んでたの!?とか驚きがね。

コロナのせいでリセットした感もあるけど、

そもそもスポーツ観戦するほうではなかった、

と思い出したりしています。

 

えーと、ということで本題(?)

昨日は出社日の目的外使用で八犬伝へ。

で、連休中は侍タイムスリッパーも見たので、

(原稿のことはいったん置いておいて…

だってスクリーンでみたいじゃんよ…!)

方法論がまるで逆な二作の時代劇を見たなあと。

でも興味深いのは、

二作とも主人公は同じことを言っている。たぶん。

 

ま、まず映画八犬伝自体は、馬琴おじいちゃんと

北斎おじいちゃんのイチャラブに八犬士を添えて、

だったなって…(赤裸々)(でも合ってると思う)

エンドロールで、あ、曽利監督?!なるほど、

と気付く感じ。まあそう。

 

もちろん、八犬伝のあの名場面を

映像化してくれただけでも眼福!ありがとう!!

な感じだし、正直、私は超楽しかったですが、

大丈夫かね、あれふつうのお客さんついて来られる?

っていうか…楽しかったけども(2回目)

でも真の見所は獅童さんと右近さんの四谷怪談だし、

奈落での馬琴と南北の討論が全てだと思うんだよねえ。

 

それで、これが今の時代劇に通じる。

ということは、侍タイムスリッパーと表裏一体だなと。

 

片や、超豪華出演陣にお金を掛けた宣伝、

ふんだんな制作費(たぶん)によるVFXの大作と、

だいたいのことは監督がやってて、

限定的なロケ地、低予算インディーズ映画、

という真逆の立ち位置の二作でありながら、

テーマは通じるものがあるというか…

そもそも、馬琴先生居なかったら、

いまの時代劇ないんだよな、って。

 

正義を貫く作品は本当に無意味なのか。

意味を求めることが必要なのか。

と、すごく面白い対比だと思うんだけど、

いずれにせよ、創作者(神)のエゴと、

それでもやらねばならない業みたいなものと。

面白かったなあ…

 

これは創作するひとは一度は直面するというか、

何故そうするのか分からないまま、

表現したいという欲求は肥大化して、

そこに意味を求められて絶句してしまうあの感じ。

そうしたい、という意志と、

そうあるべき、という理想と。

 

って言っても、馬琴も南北も超人気作家で、

求められてる人たちだからなあ…

無意味であっても需要はあるんだよ。

あー、でも馬琴が語る八犬伝のあらすじに

感化されて挿絵描いちゃう北斎

二次創作だね!?ファンアートじゃん!!

そしてそれが楽しみで更に続きを作る馬琴、

って、なんかこう、あるべき姿だったよw

 

因みにインディーズ映画っぽさ?というか

タイムスリッパーにちりばめられてるらしい

色んな映画オマージュは全然わかんなくて、

映画ファンじゃないんだな自分…

としみじみと感じていたところです。

 

ということで寝ます。