そして世界は踊る2

日々の呟きやらなにやら。

near 0 と 0 の距離は限りなく遠い

今日はいろいろありつつ、

合間を縫ってオッペンハイマーをね!!

いや、コナンとか陰陽師は仕事終わってからでも

まだ見られる胆力があると思うけど、3hの物語、

しかもあの監督さんなら休みでもないとと…

 

で、光とは粒子と波、っていうやつ、

量子力学をやるとまあ最初の関門ですが、

そこを大上段に振りかぶって、

最初にアインシュタインとの邂逅ですよ!

そこから現在と過去を行き来するの、

たぶんあの監督さんの癖なんだと思うけど、

今回は、世界が逆転するカタルシスがない。

だってその悲劇を全世界が知ってるから。

 

冒頭で、理論物理を志す主人公に

道を示す物理学者が数学について、

「数学は楽譜だ、楽譜を読める必要はない。

君は曲が聞こえるか?」「聞こえます」

のようなやり取りをするんだけど、

繰り返し夢想する点と波のイメージは

主人公に見える物理の世界のイメージか。

妙なる音楽に聞こえる者たちは、

それでも自ら式を立てるんだなあ…

このシーンとってもいいだけにその後が辛い。

 

でも結局、「その先」を求める余り、

時勢もあって軍事利用されることになる。

近年だと『風立ちぬ』に通じる、

科学者達の愛と執着は世界を救わない感じがさ。

「物理学300年の集大成が大量殺戮兵器か」

という友の嘆きを受け入れるわけにはいかず、

プロメテウスは神の火を盗んでしまった。

 

少し仏教的というか、因果応報というか…

アインシュタイン

「これは私の式ではない、君の式だ」

と突っ返されて、我に返ったら

残ったのは滅びに瀕する世界だというのが。

 

ただし、そのスイッチを押したのは自分なのだ。

 

きっともう聞こえなくなっていた音楽、

失ったのは信頼でも栄光でもなく、

たぶん愛と情熱と安寧、ひょっとしたら良心。

世界の終末のラッパを吹いたのは

自分なのだという後悔か。

だから永遠に業火に焼かれる罰を受けると。

 

シニカルでもペシミスティックでもなく、

ロマンチ野郎だな、って感じがするのは、

私が被爆国に生まれ育ったからかもしれない。

まあ、実際、まず先にあげつらわれるのは

原爆を発明した者ではなく使った者なんだけど…

彼が救われることはないんだろう。

 

〝ほぼゼロ〟の呪いとともにホモサピは進む。 

神を恐れなかったことが罪なのではなく、

0ではないという事実の前に頭を垂れたのだ、

とは思うかなあ…

科学に於いて、0ではないという事実はあまりに重い。

そんな科学者の懺悔だった気がする。