そして世界は踊る2

日々の呟きやらなにやら。

原作世界への愛を叫ぶ獣

昨日夜中につらつら書いたのをまとめておく。

や、野球の話は夜にでも、今日の分もあるし…

いやタイブレークってほんとマモノ。

 

旅に行けなくなって、せっかくなので?

二次創作と解釈と創作のスタンスの関係について

微妙に考察したので…無駄に長いよ!

 

さて、二次創作って何が原動力になるか、

っていうと原作への愛以外にはない。

ただその「愛」の中身が人によって違って、

また、捉え方=解釈が異なるから

アウトプットである創作物にバリエーションが出る、

というのが基本として、だ。

 

原作の魅惑ポイントが人によって異なるとしても、

特にストーリィとキャラクタ、

世界観に相当思い入れがないと二次創作しないよね。

でも、同じストーリィを別のキャラでやるのは

なかなか二次にならない。

(まあ、そもそもキャラが違うと、

同じストーリィにならないからだと思うけど)

元々、ストーリィとキャラは不可分だけど、

キャラの方に比重があるのが二次創作、というか、

そのキャラクタでまだ語られていない物語や

原作とは違う世界観を「体験」させるのが二次創作だ、

と私は思っている。

 

最初はより原作の近くからスタートして、

更にこのキャラクタならこんな物語・世界だったら…

という妄想を形にする。

そこで元の作品世界の理解や解釈が基礎になるから、

アウトプットを共有できる相手が現れたりする。

そのなかで理解や解釈が一致したり、

共感したり、発見したりして交流が広がると。

同士と意気投合したり、神を見つける一方で、

解釈違いが発生したり、

世界を二分する戦いが起こったりするのも、

元はといえば理解と解釈の違いで、

世界の見方は人によって違うからで、これは仕方がない。

 

また、その表現型が人によって違うのがまた奥深くて、

絵や小説、音楽、コスプレ、立体物、詩歌etc.

そこは表現者と別ちがたく多種多様にある。

そもそも原作への愛が溢れて原作世界への愛を表現したい、

がスタートなんだけど、表現すること自体が楽しくなる。

でもそれは当たり前で、そうじゃなきゃやらないし続かない。

人間、楽しくないことって出来ないからね〜。

 

そうして、結局は表現者のスタンスが

アウトプットに直に出ることになる。

コレも当然で、創作は表現者の投影でもあるから、

イコールじゃないけど一部ではある。

で、表現者の元々の好みが根っこにあって、

(この界隈では「性癖」と評されるもの)

表現型の選択+原作の理解と解釈のフィルタを通ると

アウトプットが推しの分派になると。

 

だから、例えば同じAというキャラが好きでも、

CPや攻受、時間軸の操作、パロディ、クロスオーバー、

とにかく表現者の数だけバリエーションがある。

表現者である本人の原作やキャラの理解と

解釈が根ざす範囲で、というより、

本人の許容範囲でアウトプットのバリエが決まる。

 

たとえば、私は一次でも二次でも、

キャラの行動は1パターンしか想像しない、

というか、それしか有り得ないとして妄想するから、

たとえばAとBが紆余曲折を経て相互理解を果たす、

なら1パターンしか世界に存在しない。

平たく言うとAとBが出会って恋に堕ちてくっつく、

なら、1回書いたら終了する。

 

でも書き手さんによっては、

そこを幾多のパターンで何度でも表現するのが

お好きな方いますよね。

ってか、むしろそういう人の方が多いかもしれない。

私はそれが出来ないので、同じ伽でやるなら

世界ごと変える=世界線を変えるしかないかな。

 

そこで面白いのが、

そもそもCPを変える事が出来る書き手さんもいるし

(作品への理解が進んだり、原作が進んだりで解釈が

それが変わることはありうるのはわかる)、

身体性をいじる(幼児化女体化とかオメガバ?)、

過去・未来の話、転生とか異世界とか!

何度でも何パターンでも有り得るんだ、世界には。

 

なんだけど、私個人の場合は続けても幅が出ないというか、

そのうち「表現したい物語」の方が先に現れるので、

いずれ「このキャラクタでなくてもいい物語」に行き着く。

書きたい話にキャラを合わせるわけにはいかないからね。

 

で、その限界を知るのが早くなったなあ…

というのは創作を続けて得てた実感ではある。

要するに許容量が狭いというか応用力がほぼないので、

ルート(世界)はひとつしか選べない。

というか、原作の理解と解釈が破綻しないやり方が

それしか見つからなかった、という話なのかな。

 

二次創作は好きだし、愛すべき文化だと心底思うけど、

自分がやると幅が狭いことしか出来ないので、

明確に分別のあるうちに書ききるべしという話かな。

目的が「創作する」方に寄れば寄るほど、

原作から離れてしまうというか、変質してしまう。

コレは私の問題。

 

ま、つまり二次創作って、そもそも

原作への愛を叫ぶ獣が交流するツールだよね!

(これはそれ以外に言い様がないとも思う)

だから、推しは推せるときに推せ、

っていうのは旬とか作品世界の賞味期限もあるけど、

書き手の中にも賞味期限があるってことなんだよね。

そこで同志が見つかったら死ぬほど幸せだし、

見つからなくても、交流できなくても、

そもそも愛を叫べたならそれでいいじゃんと。

 

ツールの使い方や自分のスタンス・やりたいこと、

ちゃんと見失わないでいたいね、という話でした。