サンノーの卒業式に思いを馳せていたら
夜が明けてしまった(いや寝たけど)
みたいな感じで、なんだろう、小話を書いています。
や、本筋(?)にも通じるから!!
ちょっとオトナ古谷があんまりだったから、
在りし日の姿を暫し止めむと!
ということで、その前に積み残しも…
さて日光記、メインディッシュ中編です。
憾満ヶ淵、男体山の噴火からうまれた
溶岩が流れてきたところに川が通ったもので、
その昔、不動明王の石像が安置されていたり、
という故事に由来するんだとか。
(関君と劇作家のお兄さんの受け売り)
(てか、私、彼の名前思い出すか再読しろwww)
その憾満ヶ淵がこちら。
クリックして…見ても…どうだろう…
どっかに「かんまん」の梵字があるはず…?
無理言うなという感じですが。
いくら弘法大師が書の達人とはいえ、
投げて文字が書けるってのはどうか…?
(なんでもない)
ま、関君も同じこと言ってたしね!
ちなみに、並び地蔵=化け地蔵ともいい、
行きと帰りで地蔵の数が違うという話。
友人たちは数えていた、はずなんだけど、
「これって数えるべき?」
みたいな、ほとんど石なやつ(概念地蔵)とか、
「明らかに地蔵ではないよね」
という碑とかあって、なんとも(笑)
まあ…ひとつふたつ増えたり減ったりしても
いいんじゃないですかね!(そうか?)
なお、淵を撮影する皆さん
振り返ると、梵字の写真を撮った四阿が。
やあ、良い場所ですよ、ここ。人少ないしw
春、夏や秋もいいんじゃないかなー。
そして歩ききると水門がありました。
他の山からの流れが、大谷川に集まるんでしょうね。
レトロでとても素敵な水門でしたが。
やあ、愉しかった!
最後に、関君が通った道だなあという感慨と共に。